古本屋の竹さん 作者不詳・北谷住人
高野の邦ちゃんの家は、角に宮川酒店の大きな金看板がかかって、隣の日々新聞店の路地を入った突きあたりにあった。家に入ると家族そろって袋貼りの内職をしているので、何時行っても紙を漉(す)いたような臭いが目に染みた。
袋貼りの内職は、仕上がった足袋は一足ずつ薄いセロハン紙に包装される。その包装紙を張り合わせる仕事で、足袋の行田と云われるほどの町では、町の半数は何らかのかたちで足袋に関わる仕事に携わっていた。
薄いセロハン紙を張り合わせる内職は、慣れないと紙が縮れてしまうので難しい。その頃は、どこの家でも小綺麗な内職として家中袋貼りをしている家が多かった。
酒屋の前に、通りを隔てて二見屋の張り出された庇に、景気よく太平洋の荒波が描かれてのっていた。二見屋の店先は果物や缶詰が並べられ、大きな氷室にはおが屑に一年中氷が入れてあり、冬になると店先に壺焼きと書かれた赤い提灯が下げられた。
隣に万年屋という洋食屋が出来て、広いコンクリの土間に白い長い前掛けを掛けた女の子が腰を下ろしていた。脇の通りは大工町に続いている。
街道の川に沿って柳の湯があり、前は広場になって大きな木が一本、川から道路に面して長い枝を垂れ下げていた。
湯屋の前は割烹の魚七の提灯が下げられて、夜になると部屋に灯りが入る頃には、お姐さん達が男達と人力車の音と一緒に入ってくる。信吉はしょうどんと連れだって、よく柳の湯に入りに行った。二見屋の前の道路に夜になると、雨でも降らない限り、ガス灯をちらちら燃やして古本屋が夜店を出した。
古本屋のおじさんは、夏でも冬でも同じねず色のネルの衿を着て、細い黒の三尺を締めて片膝を立てて本を読んでいた。畳三枚ほどの茣蓙に古本を広げ、冬になると手元に炭火をおこして、ガラスの蓋のついた飯台の中に大福餅を入れて焼いて売っていた。
しょうどんの話では、古本屋のおじさんは身体を悪くして、東京から田舎に来て、小説を書いていると話していた。古本屋と云っても貸し本が多く、並べているだけで売れても売れなくてもよかったのかも知れない。
古本屋のおじさんは竹さんといった。子ども達も竹さん、竹さんと言っていたが、悪い顔もしないで一緒になって話を聞いてくれた。日暮れ時になるとゴム草履を足に突っかけてリヤカーに古本とゴザを載せて一人で引いてきた。
結婚していなかったので、東町で一人で暮らしていた。竹さんの家は間口二間ほどの長屋で、奥の部屋には蒲団が敷きっぱなしになっていた。雨戸を開けるとじめじめした土間に蒼苔が生えていて、注意して足を下ろさないと滑って転んでしまう。
信吉は竹さんの家に一人で遊びに行った。竹さんは信吉が分かっても分からなくても、啄木の歌を読んでくれた。目を瞑(つぶ)ると本も見ないで、次から次へと啄木の歌が出てきた。信吉には、竹さんの話を聞いても何も分からなかったが、竹さんの口元を見ながら黙って聞いていた。
竹さんは「みんなお金がなかったんだな」と言うことがあった。裏の土間の七輪に、朝炊いたご飯の土鍋がそのままかかっていた。竹さんの家族はみんな肺病で亡くなったと聞いていた。
竹さんは話していても急に呼吸が苦しくなって、呼吸音がしゅーしゅー聞こえることがあった。寒い日が続いて、竹さんの古本屋の店が出なくなってしまった。信吉は竹さんの隣の家で聞いてみると、一週間ほど前に羽生のおじさんのところへ行くと行ったきり帰って来ないという。
邦ちゃんを誘って、竹さんのところに遊びに行こうと思っていたが、その後、竹さんは信吉の前に姿を現わすことはなかった。邦ちゃんも城跡の公園近くに越して行ってしまった。
最後に聞いた言葉は「田舎教師も死んじゃったしな」だった。信吉は今も竹さんの言葉を思い出すことがある。
その後、信吉は学生になって田山花袋を研究するようになった。
※「十三七つ」とは「まだ若いこと」です。
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