| 思い出 川島貞子 私達が希望と一抹の不安を胸に校門をくぐったのは、まだ戦争の影もなく平和そのものの頃だったように思います。ベルリンオリンピック(1936年・昭和11年)で日の丸が何本も揚がったのを覚えています。 (旧行田女子高等学校(現在の中央小学校の場所)の)正門を入ると左手に奉安殿、右手に広い講堂。その奥には古めかしい旧校舎があり、正面には植え込みの中にモダンな赤レンガの新校舎がそびえておりました。広々とした玄関を入ると、すぐ二階へ通ずる階段の踊り場にはギリシャの女神の像が迎えてくれます。その時分にしては随分ぜいたくな学校のように思いました。新旧校舎の間にあった大きなプラタナスでさえエキゾチックに思ったことでした。(中略) 印象に残っていますのは、一週間に及ぶ修学旅行だったでしょうか。東京駅から夜行列車で、腰を掛けられない人は床に新聞紙を敷いて寝たものでした。今ではとても考えられませんが、奈良に着いたときは皆疲れきった顔をしていました。しかし、若さは有り難いもので、奈良、大阪、京都と隈なく見学の日程をこなすことが出来ました。あの頃は、石坂洋次郎の小説「若い人」が人気があったので、旅行中もわいわいがやがやと青春を謳歌していたように思います。神社仏閣から開放され帰りに寄った名古屋、小諸は新鮮でした。立て替え前の古いお城へも登りました。(名古屋城は昭和二十年の名古屋空襲で消失。昭和三十四年再建されました)足元が危なかったのを覚えています。よい経験でした。最後の小諸、藤村の詩を口ずさみながら見た千曲川の美しかったこと、みんな若かったこと、一枚の絵となった蘇ってまいります。
※「昔の行田」を知る手がかりに、後世に伝えるきっかけに掲載させていただきました。掲載許可を頂きました旧行田女子高等学校の皆さんにお礼を申し上げます。
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