| 昭和二十四年二月 「教育新聞」第八号より -- なぜ研究会-- 小宮義孝
これは子供たちの主として母親たちが集まって、子供たちのいろいろな質問について研究する集まりのことです。もっとも、これは日本のPTAのことではありません。 子供たちは、一定の年齢になると身の回りのさまざまなことに疑問を持ち、さかんに「なぜそうなるのか」という質問をしてきます。子供たちのこうした質問を、いい加減にしておかずに、いちいち親切に、子供にわかるように説明して納得させてやり、場合によっては子供たちの手で、実験的にそれを解決するようにみちびいてやることは、子供たちの将来にとってまことに大切なことです。そこから将来の立派な科学者の芽も生まれいで、また合理的な民主主義の地盤も、つちかわれるというものです。 けれども、子供たちのこうした「なぜ」という質問にはなかなか難しいものもあって、普通の母親たちには、おいそれと答えられないものもたくさんあります。そんなときに、「そんなことはお母さんは知らないよ、学校の先生に聞きなさい」と、いつも決まって言わなければならないのでは、情けないことです。 例えば、私が数年前実際に小学四、五年生から集めた質問には、次のようなものがあります。 一、雪はなぜ白いか 一、えんとつの煙はなぜ上にあがるか 一、冬になるとなぜ木の葉が落ちるか 一、猫はなぜねずみをとるか 一、星はなぜちらちらするか 一、西洋人はなぜ目の色が青いか 一、大人はなぜ煙草を吸うか さて、皆さん、以上の子供たちの「なぜ」に、私たちは、いちいち、みんなちゃんと説明してあげられるでしょうか。「なぜ」研究会は、こうした子供たちの質問を、時々みんなでで持ち寄って、学校の先生を交えて、それを研究してゆく会です。家庭のお母さんたちが、こうして「なぜ」を研究して、一々解決してやることができるようになったら、子供たちはずいぶんとお母さんたちの信頼し、またどんなに幸福になることでしょう。 日本のPTAにも、こういった「なぜ研究会」が、だんだんと設けられるようになればいいと思います。
※教育新聞
昭和20年の終戦後、22年の教育改革の6・3制実施とともに、行田市中央小学校(当時は忍町南小学校)にPTAが設立され、翌23年7月PTA機関紙として、「教育新聞」が産声を上げました。教育の方針や内容も定まらぬ模索時代、学校と家庭の橋わたしの役割を託しての発刊でした。 教育新聞は昭和45年に文部大臣から優良PTAとして表彰される快挙の原動力となり、第1号から昭和62年の第373号まで「中央小学校
教育新聞史」としてまとめられ引き継がれました。 |